西村ツチカ

2018-08-09

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月500円であずけられていた団地の児童館には本棚があった。昔はよく読書する子供だったと親から聞かされていて、今では一冊も思い出せないが、時々ふいに当時読んだのであろう知識が突然頭に浮かぶ時がある。地軸の傾きとか、巨大な水晶ドクロとか、手品のトリックとか、彦市ばなしとか、ほとんどが何の役にも立たない知識ばかりだし、エアコンからフロンガスが出てオゾン層が破壊されるなど、今となっては有効でない知識も多い。しかし、将棋の定石や戦国武将の名前など、実人生で少しだけ役に立った知識もわずかながらある。

こうして毎年2、3個ずつ、記憶の中にぽっかりあいた忘却の湖にはポツポツと小さな島が埋め立てられ、その島と島の間に、ある時点で橋が架かり、その橋を渡ったどんつきには「あんなに大量に読んだのになぜ一冊も思い出せなかったか」という謎についての謎にまで到達すると期待している。なぜこんなに忘れっぽいのか。

実はそこにまた新たな謎が待ち受けていて、最後の謎を解き明かした時点ではじめて宇宙の機構悉皆了知といった詩人の境地に達するものと思われるが、その境地には確かにまだ達していないはずなのに、なぜか身体感覚に残っているような気がしてならない。つまり自分は、一旦何もかもを思い出して、思い出したことさえもその後また忘れる、ということを、もしかしたら何周か繰り返しているのではないか。

もしくは、忘却の湖の中の、まばらに思い出された記憶どうしを、でたらめにつなげてしまい、そこに本来存在しなかった新しいストーリーが浮上して、経験していないはずの記憶をありありと思い出してしまっているのかもしれない。そのように間違った記憶を得て、もはや別人として生きてしまったからには、元々の自分とは齟齬が生じるために、過去についてはそれ以上は思い出せなくなっているのではないか。そう考えるとちょっと怖い。

とにかく自分はメチャメチャ忘れっぽいので、記憶の引き出しに何が入っているかわからず、人生に謎解き要素があって、楽しい。




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by tsuchika | 2018-08-09 13:39